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Bagunca⑥ [メッセージ]

WiKipediaに書いてあった『村社会』。
なんだか、伝統ある街の少年団サッカークラブに、まさに、このような組織があって、読んでいておかしくなりました。

・長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。
・所属する「村」の掟や価値観、しきたりが絶対であり、マイノリティや多様性の存在自体を認めない。
・出る杭は打たれる。長い物には巻かれるべし。寄らば大樹の陰。義理と人情。横並び。
・排他主義に基づく仲間意識が存在する。
・自分逹の理解できない『他所者』の存在を許さない。
・同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
・一見異端者に寛容に見えても、相手を理解しようとではなく理解できるものに改造しようとしていたり、特例で見逃されているだけであったりする。
・白か黒、善か悪といった二極論を好む。これが「異端者は自分たちを見下している/敵意を抱いている/自分より劣る存在である」といった思い込みを生みやすい。
・弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
・構成員は陰口を好む。
・有形物のみならず時間や空間に対する共有意識も強く、プライベートやプライバシーといった概念が無い。
・事なかれ主義。トラブルが起こると「される方が悪い」という理論で被害者を悪者にし、噂話は真実を追求するより噂を既成事実にする。
・"掟"に関与しない世間一般のルールやマナーにはルーズ。他者がルールを守る姿にも息苦しさを感じるため、他者にもルーズさを強要。「マナーを守らないのがマナー」と化している。
・知識人の不足と年長者の影響力により、架空の法律のでっち上げ、神頼みといった非常識がまかり通る。

相撲協会の時もそうだったし、全柔連もそうなのですが、内部の人が内部のための組織を作っているわけです。
で、時代が変わっても、周辺の変化にも対応できないほどに硬直化している部分があります。
街クラブのコーチも移籍とかレンタルとはした方がいんじゃないかなあと思っています。 
街クラブのコーチが所属を変える時って、 転勤や引っ越しにによって住むところが変わり、まあ新しい土地でも子供がサッカーを始めたので、と、そのクラブに居づらくなって、転籍というこの2つのケースしかないような気がしています。
もっと、もっと、外との交流などをしていかないと、まさに村組織になってしまい、村組織の中で育て上げられる子供はかあんりかわいそうだなあと思ってしまいます。 練習試合とか、そのようなレベルではなく、もっともっと深いところで街クラブ同士が交流していかないと時代に合わない組織が増えていくだけになってしまうかもしれませんね。
内弁慶なる言葉がありますが、なんか日本の組織はこの内弁慶の極みのような人が長になることが多いですね。 たぶん伝統あるジュニアの街クラブというのもこのような組織構造になっているのかなあと思っています。
クラッシュ&ビルド的な発想が必要かもしれないと思っています。 マンネリ化したものは一度壊して再度作り上げることで、時代や環境に対応しているのかどうかを検証してみるというようなやり方も必要なのではないでしょうか? 去年もやったからみたいなものを何続けるのか、比較は1年かもしれませんが引きでみるとかなり長い間同じことを繰り返しているというようなそのような組織構造ややりかたを感じることがあります。
「俺はここで10数年、子供たちをみてきた」そう言ったコーチがいます。 そう、10数年、ここだけで、いつもと同じように見てきたから、だから時代に適合しなくなったのです。 自分だけが変わらず、自分だけが問題がない。 個人ではなく、その個人の考えそのものが組織の考えになってしまう...。
相撲協会や全柔蓮のような組織は、日本のグラスルーツの中にもたくさんありそうな気がしています。

まあ、内部の方が検証してもはっきとわからないかと思います。第三者に自分のチームが村組織の項目になっていないかどうか、照らし合わせたチェックをしてみるのも悪くないのではないでしょうか?



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えどもん

お茶屋さん nice!をありがとうございます
by えどもん (2013-02-26 16:38) 

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