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Bagunca⑰『審判』 [メッセージ]

ジュニアの指導者をしていて、公式試合・練習試合など審判に入ることはすごく大切なことだと思います。
まず、タッチラインの外側、ベンチで見ているのと子供たちと同じピッチの中でゲームを体感するのとは全く感じ方が違います。 審判、とくに主審をしてると、ピッチの中で子供たちの息遣いや体をぶつける時の音というか気迫のようなものを感じることができます。 よく思うのはベンチから『もっと声出せよ!』などという声が聞こえてくるときもありますが、ピッチの中では声も出ていて聞こえていることもあります。 それはベンチというタッチラインの外のエリアを中心にして考えているからですよ..と言いたくなる時もあります。 同じフィールに入ってみていると、ベンチでは感じ取れないものを感じることができます。 ということで、ジュニアの地域のチーム場合、練習試合や公式戦の地域大会などでは帯同チームからの審判割当などありますが、お父さんコーチの方々には積極的にこのような審判に入るチャンスを活かして、ジュニアのサッカー身を持って感じるのがいいのでは?と思っています。 で、地域の公式戦などで特にリーグ戦などの場合には、この上ないスカウティングのチャンスです。 子供たちの動きや息遣いなども感じることができ、近くにいて独り言などを聞いていると性格まで見えてくることもあります。 そんな機会はなかなかありません。 
あまり経験のないお父さんコーチは主審は...ということであれば副審でもいろいろと得るものがあります。副審の場合にはベンチがある第一副審がお勧めです。 旗振りをしながら、暇な時にはベンチワークの勉強をするのがいいかもしれません。 うるさいベンチ、適切な指示や鼓舞することがタイミングよくうまいベンチなど、ベンチワークの勉強をするのがいいかと思います。私はベンチに入ったコーチ陣が分業的にうまいなあとおうベンチに出会ったことがありますが、一人は全体を見ながら指示をしてきます。 もう一人はスコアというか記録を付けなながら鼓舞を中心に声を描けていrます。 で、もう一人は控え選手に試合の流れの解説や試合のよかったところ、悪かたところなどをしっかりと話し合っています。 うるさくもない適切な指示と鼓舞が展開されていいチームでした。 というように、ベンチワークも勉強になるし、主審と同じようにベンチワークもスカウティングできたりもします。 まあ、ジュニアの地域の試合だからできるようなことですが、審判をすることでいろいろ情報を手に入れることができます。 最近、ベンチに入るよりも審判に入る方が面白いという試合があったりもします。 もちろんルールの勉強やゲーム運びの勉強ということもありますが、お父さんコーチの方々にも積極的に審判にはいってもっともっと楽しめばいいのにと思っています。
そう、『楽しめ』ばいいのです。 自分でこの試合を仕切ってやろうとか、ちゃんとやらないとまずいよな..的に縛られることなく、もちろんルールに沿ってちゃんとやらないとならないのですが経験、場数を踏むことでしかえられないものというものもあるし、何度も失敗して身につくようなものというものもあります。 経験のある方々はそのような目で見てくれているのと思うので、ひるむことなく積極的に行えばいいのではないかと思っています。
先日とあるチームの招待試合で審判に入とろうとしたら、『チームを卒団した中学生が資格を取って、主審を経験させてあげたいので、私たちが副審でサポートしますので審判割当をチェンジしていただけませんか?』という申し入れがありました。 もちろんお断りする理由もないし、走らなくていいのね!と思って本部に確認の上後退しました。 いいチームですよね、そうやって卒団した子の審判育成の手伝いをしているというのは。 選手としてではなく、そのようにサッカーに関わるという方法もあるし、いろいろな関わり方を支援しているのだと思います。 で、指導者もいろいろな角度で子供たちを見ることによって、また色々なものが見えてくるんだろうなと思っています。 


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Bagunca⑰『勝利or育成』 [メッセージ]

コーチ会議や保護者会などの集まりがあると必ずと言ってほど話題になるのは、『勝ちたい』という気持ちと『勝利至上主義』のようなものの境目的な話。
スポーツなんだから『勝利』を目指すのは当たり前なことだし、勝ちを意識して試合に臨まないと相手に対して失礼なことだと思っています。
簡単にいうと真剣に望んできている相手チームに対して、まあ、2軍ででも対応しとけばいいんじゃない、ピクニックムードの遠征だと思いましょ..なんて試合の臨み方はやはり失礼な感じがします。 しかし何が何でも勝ちたいか?的な気持ちや言動がプンプン出ていて、それが重圧になったり、場の空気を乱してしまったりすることもあたりもする。 先日保護者の方から聞いたのは、試合が終わった後などのコーチの言葉が何が何でも勝ちたいというか、勝つためにはというような感じに聞こえて、気分的にプレッシャーを感じているという5年生がいるという話を聞きました。 ベンチにはお父さんコーチが中心に入っていて、試合の運営もお父さんコーチがしている、何も保護者からも他のコーチ陣からも勝たなければならないよ、という話などをしたことがないのだけれども、あまりにも結果がでないというか、勝ちに見放されているし、主だったゲインを感じることがないチームの雰囲気にベンチに入っているお父さんコーチが焦り始め、それを子供達が感じ取ってしまったようなそんな現象ではないかと思っています。 誰も勝利に関するプレッシャーなどはかけたことがないのですが、負けが込んだり地域の大会ではいつも下位のチームだということになると、コーチ陣が焦り始め、子供たちもその焦りを感じてやる気がなくなったりする悪循環が続いていきます。
バルサのカンテラの位置づけに関しての話が何かの本に記載されていました。 バルサのカンテラは育成のために位置づけられているのか、バルサの下部組織ということでタイトルを取るために位置づけられているのか、どちらを重視しているのかというような質問ですが、答えのところにポイントがありました。 下部組織の選手の年齢のことを考えると育成を重視している。 というような内容でした。 そこにはクラブという組織が前面になるのではなく、あくまで、カンテラの中の構成員である選手の年齢層を基盤に考えています。 ということは、やはりその年齢層では育成を中心に考えた方がいい、考えなければならないということになります。
で、日本の地域の少年団チームとの差分を考えてみます。 バルサのカンテラは上に上にと続いがありますが、日本の地域の少年団的なチームには上がありません。
やはりJの下部組織や街のクラブチーム的なところには上位チームがあるところも存在しますが、ほとんどは完結してしまいます。そして完結していることで満足をしなければならないのは子供よりも大人の方が多いということです。子供達には小学校を卒業しても中学に行ってその上でもというこれからの時間がありますが、コーチ陣にはたまたま訪れた質の高いチーム編成は6年生が卒業すると終わってしまい、またいい素質に恵まれた年代の時に一から開始しなおす的なところのなってしまいます。ということで、勝利至上主義ではないのです...といいながらも内容は結果を求めたものになってしまったり、結果を焦ってもぎとろうとするような時間の使い方になってしまったりするこもあります。 そこがすごく問題なのかなあと思っています。 知らず知らずにそっちに走り、知らず知らずに原点を忘れて、ここでいかないと次はにかもしれないから、今回だけは目をつぶろう...などという決断がなされたりもしたりします。 それはみんな大人の我儘で子供達が望んでいることではなく、大人の我儘を展開することで、子供たちが知らなくてもいいことを知ってしまったり、大人の我儘的な環境を子供たちも引き継いでしまったりします。 
以前、こんなことがありました。 練習には真面目に来ているのですが、試合の日になると休んでいしまいます。 どうしたのかなあと思っているとしばらくして、その子はチームをやめることを決意します。 辞める理由は、『僕がいると試合に勝てないから...』でした。 試合の日になると休んでいることに気づいた私はその子に試合に来るように何度もいい続けていました。そのことで、その子はいろいろな葛藤や環境からの圧力があたtのだと思います。 環境の圧力を作ったのは、私たち大人だと思っています。 私は、その子のような子をもう二度と作ってはならないと思っています。 好きで始めたサッカーを嫌いにしてしまうということは一番してはならないことだと思っています。 知らないうちにだれかに色々な環境の圧力をかけてしまっているのかもしれません、だから子供たちに対するアンテナはちゃんと張っておかないとならないなと思っています。
『絶対に勝たなければならない試合は1つもない』そういったのは、オシムさんです。 自分たちの根本を曲げてまで勝つ必要はなく、内容を重視した上でゲームに臨むというようなことなのでしょう。 『目先の一点よりも大切なものがある』ジャイアントキリングの中の達海猛のセリフです。 
勝利を目指して試合には臨むものの、無理をして勝つ必要はなく、もっとチームや選手として大切にしなけければならないものがある時には、そっちの方が重要ということなのでしょう。
私は個人的にはこう思っています。 子供たちが勝たなければならないものがあるとすれば『昨日の自分』です。 昨日の自分に勝たないということは成長していないということですからね。子供達も大人も昨日の自分には勝ちたいですね。

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Bagunca⑯『ルーズ』 [メッセージ]

前にいたチームから今のチームに「移籍」した時の今のチームの印象は『やけにルーズなチームだな...』という感じでした。
以前のチームは、練習開始時刻になると、まずは全体でランニング・体操・ブラジル体操とアップメニューをきちっとこなしてから、学年毎に分かれて練習をするとのが定例なのですが、今のチームは一応それに近い順序を踏んでいるのですが、どうもこの一連の行動がシャッキとしていなというか私の目から見てルーズに見えたのです。
しかし、少々時間が経ってみて、そのルーズさの中にとんでもない大切なことが隠されていたのを見逃していました。
前にいたチームは、アップの時に何をやるかの促しや体操の時、かなりコーチが入り込んでいました。 体操のやり方に細かく指示を出したり、声を出すのも来コーチが率先して行っているというものでしたが...。今のチームはアップ時にコーチはほとんど来ているだけ。 1年生や新しく入った新入部員に対して細かくサポートしているコーチはいますが、あとは見ているだけ...6年生の子供たちが中心に全体をひぱって行っています。 で、多少ルーズになったとしても子供達がしていることなので...ということで何も言わずということが多いのです。 
ブラジル体操で前のチームにいるときにはあまり気が付かなかったのですが、今のチームになって、このルーズさから気が付いたことがありました。
前のチームでは縦横揃えて、縦も横をそろって移動するブラジル体操をコーチ陣が望んでいるいたのですが、そんなこと小学生のチームに臨んではいけないのだということが分かりました。 小学生では学年によって体格があまりにも違いすぎる、歩幅も違うということで、縦横きれいに合って進むわけがありません。 きれいに合わせるということは大きな子か小さな子が無理をしないとならないのです。 それは大人の要望であって、決して子供たちのためになることではないということがこの必要なルーズさを見ているうちに気が付きました。 子供達の状況を考えると決して大人の視線で見ていては、大人感覚の要望では子供の世界では通用しないもおがたくさんあるようにも思いました。 
以前何かの本で読んだことがあるのは、小学校1年生くらいの子が練習中に転がっていったボールを取りに行き、途中にあった砂場で留まってしまってそのまま砂遊びをしてしまう..という状況になった時に何を思うのか? ということでした。 さっさと呼び戻してサッカーの練習をさせるというものありなのですが、小学校1年生くらいだと
『この子は、いろいろなことに興味があるんだなぁ』と思ったりできる大人かということでした。
保護者の方々とお話しをする時に、私は子供達をバカにするのではなく、事実をちゃんと受け止めて子供たちに敬意をもってこのように言う時があります。
『たかが,10年くらいしか生きていないのですから...』 4・5年生だとこの世に生を受けて10年くらいです。 でも、大人は色々なことをさせたがり、結果に対して大きな期待をして、教えたことができないとキーキーと怒りくるったりもします。 もっとちゃんと子供を見ないとならないんじゃないの?と思う時もあります。
T吉をJや国際試合の観戦に以前はよく連れていきました。 その時感じたのは、年齢によって耐えられる時間があるということです。 45分前後半をちゃんと見れるようになったのは6年生の始めくらいだったかもしれません。4年生くらいでは前半で飽きていました。 席にはいますが後半は気持ちがどっか行っていました。
以前は、折角国立まで来たのにとか、チケット買ったのに的なことを考えたこともありましたが、しょうがないのです、子供の集中力を考えるとそれが当たり前なのかもしれません。決してサッカー観戦が嫌だとかそんなことではなく、年齢やどうしようもないものがそうさせているのです。
子供は大人になったことがないので、大人の物差しを使うことができません。 で、大人は子供時代を経験しているので子供用の物差しも持っているはずなのですが、あえて試練だど思わせているののか、大人としての威厳があるのか子供用の物差しを出して子供に接するということが少ないような気がします。
もっと、もっとルーズにというか、大人が子供用になってもいいのかなあと思います。 
で、その時は子供が大人用の服を着ているようなルーズさを感じることになるんでしょうね。

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Bagunca⑮『判断のスポーツ』 [メッセージ]

ある時から私は『サッカーは判断のスポーツ』という見方をしている。
子供たちにも『見る→考える→判断する→行動する』のサイクルを大事にするようにということを、このような表現方法ではないけれども、ことにつけ意識して話すようにしている。 はらだみずきさんの小説 「サッカーの神様をさがして」の中に、こんな一説がある。

サッカーで大切なのは、いかに速く走るかではなく、いつ走るかだと。
身体的なスピードではなく、考えるスピードが大切なんだってね。
ときに身体的な能力に勝るものが、サッカーには存在するという意味だと僕は理解した。だとすれば、ピッチ上で役に立たない者などいない。 そういうことだと思う。

良く思うのは、小学生用のピッチは大体縦が6/70mで小学生だと早い子で10秒くらいで移動できる。 ということは5秒あればゴールラインからハーフウェイラインまで移動できるということ。 であれば、もし相手よりも1秒判断が早ければ、状況を見た瞬間に次の行動を判断して動き出すことができれば... 足が速いとかいうことよりもそのことは応用範囲がとんでもなく広いその子の武器となりチームにとってこの上もない力になるのではないかと考えてたりもする。
足の速さや体の大きさというのは生まれつきというようなもの、親からもらったというものに依存している部分もおおきいかもしれないけれども、判断の速さ、考える力みたいなものは確かに潜在的なものもあるかもしれないけど、足が速いということよりも、考え方や訓練で進化する度合いが大きいのではないかと思っています。
だから練習中も見ること、見て次を考えること、そのことに注力した声掛けをすることが多くなっています。

低学年でゲームを行うと必ずといってほど団子サッカーになります。 高学年の試合を見るのに慣れてしまうと団子サッカーと出会うと新鮮な感じと可愛いらしさを感じることがあります。 団子サッカーを続けてると、団子には満足できず、妙に白けて団子を外から涼しい顔で見ている子がでてきます。 『こんなみんなで突っ込んでいっても疲れるだけだぜ...俺はこぼれた来たボールを楽に奪い取ってゴールまで攻めあがってやるさ...』みたいな心の声が聞こえてきそうな子供です。 私はこのような子の行動を大事にしたいと思っています。 状況を考え自分のポジションを自分で作り上げているということをすごく大事にしたいと思っています。 気づかないと、『なんでさぼってるんだ、ボールを追いかけていないのはお前だけだぞ!』と声をかけて、みんなといっしょにボールを追いかけることをよしとするコーチも方もいるのですが、私はサッカーは11人で同じことをしても仕方がなく、このように自分の役目を自分で作り出せるような子を大切にし、その子に如何に成功体験的なものを与えて、他の子にも気づいてもらえるのかという環境を作り出すことを考えることにしています。 その環境を作り出し、少しでも多くの子が『気付く』ということをしなければなりません。
無理やり教えられたものは忘れたりすることも多く、見につかないことも多いのですが、自分で気づいて自分で取得したものはなかなか自分の中からでていくこともないものではないでしょうか。 だから、自分で気づいて自分で取得する環境を作るのが指導者にとって必要なことだと思っております。

『見る→考える→判断する→行動する』『見る』ということが基本になると思います。 若いお父さんコーチの方々の指導を見ていると、足技やサッカー的な技術を教える機会は非常に多いのですが、この『見る』ということを教えていることは非常に少ないなあと思っています。
学校のグラウンドにある朝礼台や校舎の非常階段など、グラウンドを俯瞰で見ることができる場所に行って、ゲーム形式の練習を見てみてください。チームの子の頭の向きだけ見ているとすごく面白いのは、多くの子はボールに向いているだけで周囲を見るために回りを見るということをしてはいないのだと思います。 ということは、どんなに戦術的なことを指導したり、教えたりしていても、ピンとこなかったり、教えた内容に対して反応できていないということが多いのだと思います。
最近、私は試合の時、試合形式の練習のときには子供たちの頭の向きだけを見ています。 ディフェンスが上がる時、下がる時、周辺を確認しながら動いているか、ポジションを決める時に後ろに人がいないかどうか確認をしてから守りについているかなど、ホントに一瞬です、その一瞬で見ることができるかどうかで、次の行動が大きく変わり、全体的なゲームの動きに大きな影響を与えることがあります。 
一人一人の気づきはゲームを大きく変えることになる。 何度も何度も繰り返し、そのことを伝えることでわかってくれる子もでてきます。 まあ、1回や2回でわかることではなく、事につけ何度でもいつでも言わなくてはならないことなのかもしれません。
待てる大人になることも大切です。

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Bagunca⑭『足し算、引き算→因数分解??』 [メッセージ]

経験者、特に高校生の時くらいまでの、大人の領域で選手経験があるお父さんコーチにたまにみられる現象です。
熱く、とても熱心なのは理解できますが、本当にそれでいいのかなぁと思うことがあります。
小学生なのですが、どうも指導内容や要求が『本格的』すぎる場合があります。 ゴールデンエイジに対して『即座の取得』のために、若いお父さんコーチの方々がいろいろなテクニックをデモしてもらう..子供達はなんとか習得しようとか、あんなのできたらいいなぁ..的なところまではOKなのですが... 時々見受けられるのは、試合前のすごく本格的なフォーメーション説明だったり、練習時の動き方における細かな解説と動き方などの説明です。
うーーーん、時々思うのは、足し算を教えて、クリア..いい感じではないですか、次、引き算ですよね..なんとか引き算とはなにかもわかってきたようですね、子供たちの理解度にお父さんコーチも満足げですね...えっ!その理解度信じて、一足飛びに因数分解までいっちゃいます?? というような指導内容かな?と思えるような時があります。 そう、そうなれば理想系です、理想を追っかけることは私も好きですが、今はそこまで飛べないでしょう...的なことを思う時があります。
実際私もそのような時期がありました、このBlogでも、ジュニアのコーチ経験がある方に、『まだまだ、その練習メニューは早いですよ、もう少し基礎的なスキルを身に着けてからの方が効果的ですよ』というような内容をコメントして頂いたこともあります。
私も若くはありませんが、お父さんコーチとしてグラウンドにたった時に、何とかこの子達と面白いゲームを展開したい、そのためには色々なスキルをこの達に伝授して、この子達を輝く選手にしなければならないという野望に燃えてしまった時期があります。 サッカー雑誌や育成テクニックを扱った書籍などを見ていると、その通りに練習を行えば子供達が素敵な選手に育っているのだ!と思い描いた時期もありましたが..。実際はサッカーをするのは子供達であって自分ではありません。そんな簡単なことになかなか気づかないのです。 で、子供たちにいろいろ説明しても、うまくは演じてくれません。 当たり前なことなのですが、その当たり前が理解できない魔力のようなものが、コーチという称号だったり、色々なものにひっついているんですよね。
まず、考えないとならないのは、サッカーをしているのはコーチではなく子供達であるということです。 そして、まだまだジュニア世代であるということ、一つ一つ積み重ねて取得してもらうことが必要だということ。 また、この世代は吸収力や体力・体格的なものにも差があったりもします。 学年ごとに担当しているチームもそうですが、学年をまたがって担当しているコーチには、その子供達の理解度、体格差、体力差さも個性だと考えて受け入れ、その個性にあった指導をしていかなければならないということです。 それはとても大切なことかもしれません。
ましてジュニアの世代では、いつ誰が、どんなところを伸ばしてくるのかわかりません。 逆に伸びにとまってしまう子もいます。 そのような個性とちゃんと向きあっていないとなりません。 色々な指導方法があるかとは思いますが、私は見せる範囲であれば、高度なテクニックや技術を見せても構わないのですが、やはり子供たちに要求というか、このようにしたらいいんじゃないの?的なものは一つ一つ積み重ねていくような内容でなければならないと思っています。 そして、その年代年代にあったようなというか、一つ一つクリアしながら前に進めていく必要があるかと思います。
でも、草の根チームの場合にはスキルなども均一化していませんし、極端にいうとサッカーに対する取り組み方や価値観のようなものまで違ったりもします。 ですが、時間をかけてでも、価値観をなるべく同じにして、同じ目標というか同じ方向を向いて前に進むようにしていかないとならないのでしょうね。
でも、その時に不揃いの個性の上を伸ばしてあげることも必要ですが、下の底上げというか、もっともっと興味を持ってもらい、その子にできること、その子がチームで活きる技量などを見つけ、身に着け伸ばしてあげるというような、そのような指導が必要になるんだろうなあと思っています。
それには、やはり子供達を見ることなどから始まるんでしょね。
小学校のグラウンドで私は以前からやっていたのですが、こんなこと試してみたらどうでしょう。
小学校のグラウンドには、朝礼台なるグラウンドでの朝礼等の時に校長先生がお話をする台があります。 この台にのって、子供達の動きや顔の向き(視線の方向)などを俯瞰で見るとすごく色々なものが分かります。 朝礼台よりも非常階段などもっと上からグラウンドを俯瞰で見ることができるようなものがあると、もっともっとよくわかります。 私がよく見るのは、子供達の顔の向きです。全員がボールウォッチャーなんてことはジュニアのチームにはよくあることです。 で、このようなチーム状態でいろいろなフォーメーション指導をしてもまずうまくいくことがありません。 ですから、このようなときには周囲を見るということから始めないとなりません。
まずは知ることです。 文字通り色々な角度から見ることによって、色々なことが分かり、数々の施策が思い浮かぶはずです。

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Bagunca⑬『褒めて伸ばす』 [メッセージ]

色々な雑誌やWEBの特集等で『子供たちは褒めて伸ばせ!』というようなことが記載されていますが、褒めるということは、ものすごく難しいことです。
褒め言葉にもいろいろあるようで、シカゴ大学での研究結果がとあるWEBに掲載されていたので下記にURLを載せておきます。
http://rocketnews24.com/2013/02/19/293770/
さて、私が考えているのは、子供達は自分の行動に対して納得のいく領域かどうかを意識していて、その納得のいく領域に達した時に褒めるというか、自分の納得に気づいてくれる人がいるということへの共感を感じるのではないかと思っています。
たとえば、単にいるもより頑張っているからということで、『ナイス!』とか『いいね!』と言ったところで、あまり共感は得られず、下手をすると『また、コーチ御世辞でも言ってるのかよ...』的に思われてしまうこともあるのではないかと思っています。
かなり前、T吉と日曜日の午後に二入でサッカーの練習をしている時のことです。 T吉が小学校の時には、二人でパス練習や的当てなど時々グラウンドが空いている日にやっていました。 シュート練習で今日の練習は終わろうということになり、じゃあ10本決めたら終了にしようということにしました。 私がキーパーになりT吉がシュートを打ってくるのですが、私のミスで入るシュートもあります。 まあ、確かに試合ではGKのミスで入るシュートも1点は1点で試合結果での重さは分からないのですが、T吉は『今のはナシだな。』と私のミスや気に入らないコースなどは得点として数えていません。 自分で納得のいくものだけを練習では得点としています。
その時に思ったのです、低学年ではシュートがゴールしたかどうかなどを気にしていた時期もありましたが、高学年になると、自分で納得のいくスタイルというものを気にし始めてきます。 だからこそ、子供たちの納得のいく型や、思い通りのプレイになったかどうかというところを褒めてあげる必要があるということです。
パスかシュートかわからないで打ったボールがたまたま風に乗ってゴールした。確かにゴールなので得点ということに関しては、チーム貢献というところでは賞賛する阿内容なのですが、コーチとしてその子のプレイをほめるかどうか、難しいところ内容なのではないでしょうか?
少年団の組織でボランティアコーチですと、子供たちといっしょにいられるのは週末の土日、しかも2-4時間くらいというのが平均なのかなと思っています。
それでも、子供たちの行動や言動をちゃんと見る、ちゃんと聞くということをすると、子供たちの性格や興味などが分かってきます。 そこでも横から目線的なものが必要になってきます。 で、そのようなコミュニケーションの中で練習中から課題を与えたり、情報を提供したり..興味がある分野には子供たちは積極的に入り込んできてくれます。 少年団的な組織でマスプロ的な指導をしていませんか? 画一面にみんなで行う..子供たちが20人くらいでコーチの数も少ないと1つのメニューをみんなでこなすということになってしまいますが、子供達を画一面でみるのではなく、課題を1人1人違えて与える、目標のもちかたや、その練習への取り組みの重さいたいなものをそれぞれに変えることは可能です。 もちろん、1つのメニューに全員にそれぞれの課題を与えるというのは大変ですので、いつも主たるポジションに関連のあるテーマや、足が速いとか、ドリブルが他の子よりも秀でているなど、その子に合ったテーマで課題などをささやいてあげることは可能かと思います。 私は試合の始まる前や、試合の後、練習の後などに、『ちょっと来いよ!』といって個別のテーマを与えたりします。 で、そのテーマに対してゲインがあった時には、もちろん褒めます。
ボーダーというか、基準点はどこにあるのかということをちゃんと見せてあげると、褒めるきっかけもできてきます。 で、簡単にできるものではなく、また遠い目標でもなく、努力したり、克服したりすると、そこまで行き着くという目標を見つけて、それを基準線にすることによって、子供達も納得の上での状況に対して褒めることが可能になってきます。 それには、やはりいつもちゃんと見てあげることなのかなあと思っています。
最近、試合時にベンチに入ることがありませんが、もしベンチに入るようになたっとしたら、練習時はいつも以上に子供達を観察しなければならないでしょうし、試合の朝は集合場所になるべく早くいって、子供たちの顔色を見ないとならないと思っています。 
以前はそのようなことは当たり前のこととして行っていました。 また、以前は試合の時には必ずスコアを付けていました。 そして、そのスコアを次の練習や次の試合運びなどに利用していました。 前のクラブでは誰もやっておらず、私が個人的に行っていたのですが.. 驚いたのは今のクラブの代表も同じことをやっていたこと。 ベンチに入るコーチの課題として定着させていました。そのスコアを軸に大会の総括をコーチ内でしたこともあります。 
色々な方法で子供たちを観察することが必要ですね。 観察もせずに指示をするというのは、一番いただけない指導かと思っています。
まあ、そんな現場を見てきただけにそう思います。


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Bagunca⑫『コーチの輝き??』 [メッセージ]

今の所属しているクラブの代表に質問されたことがあります。
『すごく資質に富んだ、これはどこまで伸びるかわからないと思うような子を、我が子をサッカー選手をしたいんだという保護者が連れてきたらどうします?』
と聞かれました。 私は迷わず。
『いいクラブチームを紹介します。 または、誰かにその子にあったクラブチームはどこだろうという情報を知人のコーチなどに尋ねます。』
『私も同じです。』と代表コーチ。
街クラブのボランティアコーチは時間に限界があります。 そして、家庭に何かあった場合、仕事が忙しくなった場合など、グラウンドに行けなくなります。
その子に対しての指導をコミットできなくなります。 いや、逃げているわけではありません、ボランテイアコーチは、家庭や仕事を理由に指導を放棄しても問題はないのだということを言っているのではありません。 責任を負うということがプロのコーチよりも相当薄くなってしまいます。
また、その時代・タイミングにおける育成・指導の情報や施設・環境などもクラブチームに比べれば、街クラブは数段格下になるわけで、本当にその子の将来を考えた場合には、自分ではなく、もっといいところでそれなりの育成指導を受けた方がその子にとってメリットだと考えるわけです。
で、以前いたチームでそのような話をしたら、「それはコーチとして逃げている、いい選手の原石があったのなら、自分で育てるべきだと言われたのですが、確かに指導者である以上、指導者として学ぶということを忘れてはいけないと常々思っています。
『学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない.』 指導者としての心構えを説いた、ロジェ・ルメール(前:フランス代表監督)の言葉ですが、この言葉はジュニアのコーチになって、この言葉に出会ってから忘れたことはありません。 
でも、でも.. この言葉だけで可能性のある子を私の指導者としての限界で留めることができないのです。 その子を見捨てるということではありませんよ、でも街クラブの環境とボランティアコーチの限界というものがあるかと思っています。
あと、子供の将来に自分の名声を託してしまうようなコーチにはなりたくないと思っているのです。
今のクラブで、このような街クラブとしてのコーチのあり方あんど、保護者の方、コーチ陣で話していた時のことです。
保護者の方が、とある異なるチームのコーチが言ったこととして話してくれた内容が...
「自分の育てた子が、高校選手権とかJリーグなどの選手になって、TVなどで見た時に、あっ、あれは俺が教えたシュートスタイルだ! なんて言いたいじゃないですか..」というような話をしてくれました。 まあ、その保護者の方は、コーチの方々は、このようなことを夢見て指導をしておられるのですか?という質問だったのですが、私は代表コーチと顔を見合わせて、笑いながらそんなことはない と言ったのですが、実は同じような内容を別のクラブのコーチが行っていたのを思い出したのです。 街クラブのコーチって、そんな望みがあるのかと。。。。
私はサッカー指導という点においては、底辺の底辺に位置している存在だと思っています。でも、決してそれは自分を卑下しているわけではありません、底辺の底辺がいなければ頂点もありません。 ということで、サッカーが好きだ!楽しいという子供たちを指導していると思っています。
今はジュニアの女子チームにます。 
保護者の方々には、なでしこの選手になるよりも、サッカーの面白さを理解して、Jのチームをスポンサードしている企業の社長夫人にでもなるのがいいよね!なんて冗談で言っています。 サッカーには色々な関わり方があり、楽しいと思えば色々なかかわり方が見えてくるというようなことを伝えていくのも指導者なのかな?
芝生の造園やユニフォームのデザイン、スポーツ医療や栄養士、調理士など、関わり方は色々。 そして、サッカーを知っていればこそ、色々なアイデアが生まれてきて、それぞれの職業や夢に向かって活かせるとおもうんだけどなぁ...。

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Bagunca⑪『ポジション』 [メッセージ]

T吉が小学校2年生の時、チームの懇親会のようなものが開催されました。チームの子供たちと保護者とコーチ陣が近所のチェーン店の居酒屋に集まって...というよくある姿です。
で、そこで宴も終盤、子供たちに、どこのポジションで活躍したいのかというのを発表してもらうおうという一人の保護者の発案から、子供たちが一人一人発表を始めます。 まあ、多いのはFW、MFという感じですが、T吉の番になって、T吉何を血迷ったのか『ベンチ!』しかも、T吉らしいオチャラケではなく、真顔でベンチ! 親の私としてはかなりどっちらけという感じでした。
で、小学校のチームでのT吉のポジションの変遷は...
ベンチ→右サイドバック→右ウィングというか、右フォワード→時々センターフォワードという感じでした。 希望通り最初はベンチ。 で、右側でだんだん前にという感じです。 今は中学でミドルのサイドかトップ下の位置に入ることが多いですね。

ポジションに関してはT吉のチームで一度、ポジションに関して他のお父さんコーチと大喧嘩をしたことがあります。
まず、T吉たちの年代は、他の年代に比べて試合での成績がいい年代ではありませんでした。 5年生くらいの時だったと思います。
あまりにも毎回毎回試合に負けてい状況に、一人のお父さんコーチが『次回、試合中走らないとか、同じようなミスを何度もするような子がいたら罰を与えましょう!』と言い出しました。
私は、なんで罰なの?というのがおかしな考えと思い、また、試合中走らない、その時意図があって走らな かったのか、さぼって走らなかったのかどうやって見分けるの..まあ、明らかにわかる場合もあるけど、すべてを同じようにジャッジするのは難しいぞ! と思ったり、ミス..いじゃない失敗しても、試合おわったら、次回の練習で、これはまだできないんだということをちゃんと納得させて、練習すればいいじゃない...なんて思いながら聞いていました。 なんか、そのお父さんコーチのサッカーに対するものの言い方というか内容が受験勉強の問題をクリアするような感じで思えてなりませんでした。 すべてはできるか・できないかの○×でしか判定しないような...そんな感じです。 で、まあそこまでは、わたしも黙って聞いていたのですが...
そこにヘッドコーチが『罰ってたとえばどのような...』と質問をした時に...
『嫌なポジションをやらせましょう、GKとかDFとか...』みたいなことを平然を言ったのです。これには黙っていられませんでした。
ポジション自体に優劣があるのか、FWは憧れの的のサッカーではエリートで後ろに行くほど嫌なポジションになるわけ! サッカーは11人でピッチにでて、全てのポジションが必要なポジションで必要がないポジションなんてないんじゃないの? 11人いやベンチや時には既定の関係でベンチにも入ることができないチームメンバーがいるかもしれないけど、みんな同じチームで、みんないっしょで..そう考えていかないとならないんじゃないの? FWだけが点取るだけがサッカーなんて思うようだったら、それはサッカーなんかじゃないね..みたいなことを言いながらかみついたわけです。 
その時は私の意見が受け入れられて、ポジションを罰則の道具に使うということはありませんでしたが、何かと管理とか優劣というのを付けたがるような体制はありましたね。 で、ポジションですが、大人がポジションに優劣を付けたり、そう頭で描いていると。言葉尻や表現などにその考えがでてしまいます。 3/4年などの時にGKは交代で...みたいなことをやっているとGKは交代でやらないとやり手がいないようなポジションなんだということになってしまいます。 少しずつ固定する、コンバートを行うなどのことを行っていかないとポジションはうまく設定できないかなあと思っています。 
どのポジションもできるように...みたいなことが言われたりすることもありますが、私は少しずつ特異なポジションを増やしていくというのがいいのかなあと思っています。もちろんチーム全体でのバランスを考えないとなりませんが。
たとえばT吉のように、右サイドの前後などを経験させる。そうするとオーバーラップのようなことも教えやすくなります。
ふよくフォワードはいいGKになれるということも言われたりします。 そのように真逆のコンバートを何かのきっかけですることも必要かと思います。 いろいろなポジションを経験させるといっても、日替わりで行っては何も得るものがありません。
一つの大会ごとなどでのポジション固定で、じっくりみていくというのが必要ではないかと考えています。
しかも、その子の個性と可能性をちゃんと見極めながら、チームでのバランスをとってということで... なかなか難しいことです。

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Bagunca⑩『横から目線』 [メッセージ]

『横から目線』は、なでしこ監督の佐々木則夫さんの指導者としての立ち位置として有名になった言葉です。
佐々木則夫さんの最初の著書『なでしこ力』は、たしか私がまだジュニアの女子チームのコーチになる前に読んだ本です。
サッカーの監督というかコーチというかチームをどのようにまとめるんだろう...そんな興味から読んだ本です。
内容はわたしにとってためになるものばかりで、指導者としての立ち位置、選手とコーチの関係やコミュニケーションなど、参考になる部分は数多くありました。
で、女子のコーチになった時に、この本に書かれてあった内容と同じようなことが私に訪れました。
著書の中で佐々木監督は奥様からなでしこの監督になるのであれば、身だしなみは今まで以上に気を付けた方がいいわよ、女の子は服装や身だしなみには神経質で、印象的なものは、そのようなところから形成されるので注意しなさいというような、そのような内容でした。 で、私は...。 土曜日に練習があり、翌日の日曜日は試合なんていうスケジュールは小学生のサッカーではよくあることなのですあ、たまたま、土曜日と翌日の日曜日、同じジャージというか練習着でグラウンドへ行きました。 もちろん、土曜日に帰って洗濯をして、日曜日にまた着てきたというものなおのですが..、ある女子から『昨日と同じ服だ!』という声が上がり...。『いやいや、夕べ洗濯したから...』と答えたのですが、よく見てます。 そのくらいグラウンドでも注意深く見て欲しいと思うのですが、ちょっとびっくり。 そそして佐々木監督の著書の内容を思い出しました。 女の子の目には注意しましょう。

私が初めて女子チームで1年を通してみることになった年代のチーム。 このチームは個性豊かで面白かったし、私の横から目線を確立させてくれた年代でした。 
まずは私に対してタメグチ。 最初の頃、私もチームになじんでいない、チームのメンバーも私になじんでいないときは、お互い遠慮と警戒心でタメグチなんてことはありませんでした。 私がいろいろと指導というか彼女たちのプレイにアドバイスをしていくなかで、コミュニケーションの頻度が多くなり、遠慮と警戒心のオブラートが溶け始めてくると... こっちも遠慮なくいろいろいい始めたけど、まあ女の子は結構、しゃべる、しゃべる。 男の子よりもやりやすいのは、男の子の場合、いあや以前いたチームの体質がそうだったのかもしれませんが、YESということが美徳というか、「はい!」と返事をかえすことが礼儀みたいなところがありました。
しかし、さあ、やってみよう!なんていうと、はい!と返事をしたのにできなかったり、理解できていなかったりと結構拍子抜けしてしまうことが多かったのですが、今のチームはどの年代でもそうですし、特にその年代はそうだったのですが、「コーチ、わかんないよ! もう一回、ちゃんと教えてよ!」とか「できねないよ、そんなの!」とか自分の考え、ステータスなんかをちゃんと話してくれます。
で、こっちの言ってることを軽く感じているのかというと、そうではなく。 ちゃんとやろうとしているので、質問をしてくる、自分の今の状況を伝えるなどのことができた年代でした。 だから、タメグチ逆にコミュケーションをよくするための潤滑油になっていました。
こちらから、アドバイスするときも、その時の状況を彼女たちがいうときも、何も遠慮も警戒心もなく話すことができているという感じでした。 だから、礼儀ただしくないとか、口の悪い子供達だなどという風に私は思っていませんでした。

そして、いつの頃からか、彼女達が私を呼ぶときは、苗字を呼び捨て... ついにコーチという称号も消えました。
私は、それがうれしかったですね。 もちろん、称号が消えたのは私だけでした。 40歳少々年齢が違います。 もちろん私が上です。 でも、呼び捨て・タメグチ! 私はこんなに素晴らしい称号をもらったことはありません。
佐々木監督も『ノリさん』だったようですが、私は『呼び捨て・タメグチ』でした。

横から目線.. コーチという衣を着て重厚に対応するよりも、私は『呼び捨て・タメグチ』の関係がいいなあと思っています。
残念ながら、今はどの年代にも、ここまでコミュニケーションが取れている年代はありません。 まあなりたくてなるようなものではなく、『呼び捨て・タメグチ』が形としての唯一の方法でもありません。 これから、違う形でコミュニケーションがBetterだと思うようなことになるかもしれません。 
それには、私もグラウンドに通い、子供達と同じ空間で同じ時間の流れを感じないとなりません。
そして、コミュニケーションのやりとりです。 
横から目線.. いつまでもそのような関係でいたいと思っています。 

なでしこ力 さあ、一緒に世界一になろう!

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  • 作者: 佐々木 則夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/01/29
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なでしこ力 さあ、一緒に世界一になろう! (講談社文庫)

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なでしこ力 次へ

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Bagunca⑨『適材適所』 [メッセージ]

『無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。大切なことは、まずどういう選手がいるか把握すること。個性を生かすシステムでなければ意味がない。システムが人間の上に君臨することは許されないのだ。』 オシムさんの言葉です。

街の少年団的サッカークラブで、いろいろと考えさせられることがあります。
まず、クラブでサッカーの戦術などの形を固定しようとすると無理が出てくることと、なかなか毎年同じようなレベルを保っていくということは難しい状況にある... ということを理解していない人が多いような気がします。
一時、ぐぐーーんと無理をするか、チャンスがめぐってきて数年間たとえば東京でいうと都大会などの中央大会まで進出するようなチーム作りをすることはできても、セレクションもなく来る者拒まずのボランテイアコーチにより地域の少年団的なチームが常勝を保持することはなかなかできません。
地域のクラブも勝手なところがあり、春になって新入生を迎え入れる時には、経験がなくても、運動が得意ではなくてもサッカー好きならいいですよ!と言いながらも、結果がでないと『なんだ、お前らはチームの伝統に泥を塗るのか!』的になってしまったりします。
個性を考えるということを、出来がいい子の将来を考えると勘違いしている方もいるようです。
この子はできがいいというか、他の子に比べて1つ頭がでている..と感じると、その子を中心にチームやフォーメーションを作ろうとします。 今、私が所属しているクラブはできる限り、誰かのチームにということがないようなチームを意識します。 その年代やその時代の構成で手段は変わっていますが、少数の子、あるいは一人の子が目立つようなチーム構成にはしません。 そうすると他の子が伸びないし疲弊してしまいます。 ときにはサッカーが嫌いになってしまいます。 周辺の子は引き立て役だということが分かってきます。 中学に進学するときに、できのいい子はクラブチームへ行きますが、引き立て役の子はサッカー以外の部活を選択することとなります。 もうサッカーはいいや...ということです。
まあ、このようなことが起こる地域の少年団クラブは多いのではないでしょうか? まあ、私の場合には、できるだけ多くの子がいつまでもサッカー好きでいてほしいなぁというところを考えています。
子供達の個性を見てあげる、適材適所を考えるということは。すごく大事なことだと思います。
小学生の時にT吉のチームに4年生の終わりで参加してきた子がいます。 足ははやかった、でも4年生の終わりに参加したということでボールさばきなどは他の子供たちから見るとやや劣っている子がいました。 でも毎週練習にくるなどサッカーが好きなのかな?と思い見ていました。
『足早いからさ、サイドバックとかやるときっといいプレイできると思うよ』みたいな話をしていました。 私はあまりベンチに入ることはなかったし、6年生の時にヘッドコーチになってからもベンチに入れなかったのでその子を思いっきりサイドバックで使うことはできませんでした。
しかし、中学に行ってもその子は部活でサッカーを選び、最近サイドバックでT吉と同じピッチにたっています。 中学へ行ってもサッカーを続けて、途中交代でピッチに立つことが多いのですが、サイドバックで試合に出てくる、その子を見ると、なんがかうれしくなります。
腐らずに、ここまでサッカーを続けてくれたこと、そしてサイドバックのポジションでピッチにたっていること。 過去の私がその子の未来に関われたことが楽しくなります。
すごく面白い光景に時々であります。 上がれるサイドバックがいないのに4バックにしていたり、切り込めるサイド要員がいないのにサイド攻撃型のチームを熱望したり...。 もっと子供達の様子や個性を見ればいいのに。。。と思うのです。
そんなことを思っていると、まあ少年団的なクラブでは毎年、チームのレベルや形が変わっていってもおかしくありません。 以前全国レベルのチームの監督が、『うちは毎年チームカラーというか、形が変わります。来年は来年の子供達を見てから考えますので、またこの大会の全国大会まで進めるかどうかわかりません』という談話を発表していましたが、その通りだと思います。
セレクションもないようなチームが、監督やコーチの考えでベストな形のチームは作れないでしょうね。
指導者になって、2年目の時のこのBlogにこんなこと書いていました。

ある本を読んでいて、チーム作りは「盆栽」に似ているということが書いてありました。
枝振りを見て、どの枝を伸ばすのかを決めて必要ない枝は早いうちに切り落としていく…。私のチームに部員としては、いらない枝はありません。でもチームのメンバーの技術やチームとしてのまとまりに関しては、いらない枝もあるかもしれません。それは切り落としていかないといけないかと思います。たとえば「勝利至上主義」なんて枝は私のチームにはいらないでしょうね。 「子供を考えずに大人の思い通りにしていく」というような枝も早いうちに伐採しないといけない枝かもしれません。

今でも、この思いは変わっていません。
2年目くらいから、私は指導者として浮いた気持ではなくなってきたのかもしれません。

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