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Bagunca⑧『ダメ出し』 [メッセージ]

コーチになりたての時にはすごく遠慮というか、何が分からずという感じでしたね。
まず、自分の子供と同じ学年の他人の子供がいる、さてさて、どこまで言っていいんだろうか? 何をやっていんだろうか? クラブのベテランコーチが何をやるんだろうか、どういう指示を出すのだろうか.. 最初のうちやることは子供と同じことをやっていました。 小学校1年生なので、おにごっこ的な練習もあります、おいおいサッカークラブじゃないのか? 児童館なのかここは? みたいに思ったこともあります。
小学生といっても、サッカークラブと名がついて、大人も子供もそれなりのジャージやユニフォームに身を包み、毎週週末同じ時間に集まって、さあ練習!というと、それはそれはJやバルサと同じなのでは、同じような練習をしなくては..。 まあ、そこまでは行かないまでも、サッカークラブ、サッカーチームとしての格式を保たないとならないのではないかと思うのです。 それは本来の格式ではなく、見た目の格好よさのものであることはよく考えるとわかることなんですが。 ま、とういうことで、最初は憧れ的なものもあります。 週末、子供といっしょにグラウンドへ出かけてサッカーというのはなかなか素敵なです。
で、しばらくして慣れてくると、『コーチ』と呼ばれることにも慣れてきます。 自分はコーチなのだと意識しはじめて、コーチらしいことをしなければならないと思うようになります。 私もそうでした。 周囲のベテランコーチの足手まといにならないように、指導のお手伝いをしなくては、コーチらしいことをしなくては.. で、そこでコーチらしいことの表現として出てくるのが『ダメ出し』。
今思うと、当時の子供達は辛かっただとうなあと思いますし、今思うとすまないことをしたなあと思います。
練習が終わってから全員のコーチから一言というか、それぞれの視点でのダメ出しが行われ、長いときには15分くらい続きます。
今思うと、あのダメ出しの時間は、大人が思っていることを吐き出す時間であって、決して子供たちの向上を目的とした時間ではないということかなと。
コーチの人数分、ダメ出し、お小言を子供たちは聞かなくてはなりません、そんな長い時間色々な話を聞いたところで子供たちの身になるわけではありません。 まあ、試合や練習の前にその日のテーマを与えて、そのテーマに沿って成果・反省点などとまとめれば、その方が効果的に展開するのではないかと考えています。 
で、私の「ダメ出し」に関して話を戻すと、コーチとして何か言わなければならない、何かしなければならないと思うと、結局『ダメ出し』になってしまうし、「ダメ出し」が一番簡単なのです。 でも、それはテレビでサッカー中継を見ながら、文句言っているのと、あまり変わりはなく、子供達の指導とは、次元が異なることだということが、理解されないままエスカレートしていく時があります。 そのエスカレートが、ハラスメント的な声掛けや威圧になってしまうのです。 ダメ出しだけではいけないのか... まあ、そう思い始めるコーチの方々もいらっしゃるし、ダメ出しを卒業できないままに次の段階に進まれる方々もいらっしゃうます。 次の段階というのは瞬間修正声掛けです。 試合展開や試合形式の練習の時、修正の声掛けをするコーチがいます。 『もっと、前だよ!』的な..でも、試合がながれていると、その修正声掛けは過去の瞬間のものですので、子供達にとっては無用の修正となり、場合によっては動きを迷わす指示になる時もあります。 この場合も気持ちいいというか満足するのは声をかけたコーチだけで、何の役にも立ちません。
試合の場合には、メモにして、時間の練習で修正練習をする、場合によては試合後のミーティングで確認をする。
試合形式の練習の場合には、ホイッスルストップで確認するなどのやりかたがありますが、全てではなく、場合場合でやり方も変わってくるかと思います。
でも、まあ流れている中でのその場修正や流れている中で過去のプレーを穿り出すような声がけ修正はつまらないものになってしまうということです。
ベンチからダメ出しをしながら、このような後出し修正をしているようなコーチを見ると、「なんじゃこりゃ」と思ってしまったいたします。
ダメ出しも、流れの中の過去の修正、どちらもコーチが気持ちいいと思うだけで、子供たちにとてっては、かなり迷惑になっているのではないか..
そう考えています。 ジュニアのサッカーといえどもなかなか難しいんだよね。

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Bagunca⑦『クラマーさん』 [メッセージ]

『学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない』 まあ、いつでも進化・成長をしていかないとならないということで、この言葉に出会ってからというもの、サッカー、特に少年サッカーの指導やその周辺での情報にはアンテナを張るようになりました。 本、TV番組、Blogなど、最初は少年サッカーに関する情報がなかなか見つからないという状況でしたが、一つ見つけると次から次へと広がっていきます。 このBlogからも情報を得たり、このBlogから知り合った方々に多くの情報を頂いたりしました。
そして、日本でサッカー指導をしようとすると、誰でも出会うデットマール・クラマーさんと出会ったのです。(本当にであったわけではありませんよ、クラマーさんの指導方法やクラマーさんの功績の情報という意味です。)
64年の東京オリンピックと68年のメキシコオリンピックでの日本代表に大きな影響を残し、日本のサッカー指導の基礎を築きあげた人です。 一説にはクラマーさんがいなければ、あの皇帝、ベッケンバウワーの素質を見抜き、クラマーさんがいなければ、ベッケンバウワーも表舞台には出ていなかったのではないかとも言われています。 で、当時のクラマーさんの指導などを書物で読んだりしていました。 当時の日本代表は、もしかしたら今の小学生よりもサッカー技術が劣っていたような...。クラマーさんがセッティングしたドイツ遠征で、ドイツの子供たちがリフティングをしているのを見て、サーカスだ!アクロバットだ! すごいあんなことできないと日本代表が言っております。  今の日本の小学生が当時にタイムスップして、リフティング、シザース、ターンなどやってのけたら、化け物扱いさせることかと思います。
クラマーさんが基礎練習の反復練習を大事にしていたことと、日本を去る時に言い残していった5つの基礎技術。 この5つの基礎技術に私は惚れ込んだというか、私が街クラブで子供達の教えていくのは、この5つだな!と思ったのです。
それは、この5つ。
Looking Around : 周囲をよく見る
Think Before:ボールが来る前に考える
Always Move:常に動く
Meet the Ball:相手よりも早くボールに寄る
Pass & Move:蹴った足で動き出す
すごく大事なことばかりだと思います。 私はこの5つをいつも繰り返し、繰り返し伝えています。
特に『見る』という行為は重要にしています。 『授業中じゃないから、キョロキョロしなよ!』『トラップした時、パス出す前に顔あげて、チラミチラミ!』などなど、そんな指示を良く飛ばします。 見る→考える→判断する→行動する。 見てから行動するまでの時間を短縮できれば、見て、考えることによる時間の短縮は足が速いということよりもすごい武器だと思っています。
はらだみずきさんの「サッカーの神様をさがして」という小説の中に次のような一説があります。

サッカーで大切なのは、いかに速く走るかではなく、いつ走るかだと。
身体的なスピードではなく、考えるスピードが大切なんだってね。
ときに身体的な能力に勝るものが、サッカーには存在するという意味だと僕は理解した。だとすれば、ピッチ上で役に立たない者などいない。 そういうことだと思う。

ジュニアのサッカーでそのようなことを大事にしています。
私はサッカーの選手経験がありません。だからサッカー技術を細かく指導するすることもできません。 そして、スポーツを続けることなく年を取ってしまったためにデモンストレーションをするようなこともできません。 だから、できることを中心に伝えています。
サッカー的な細かい技が劣ってたとしても、見ること、走ること、考えることなどは誰でも可能性を持っています。 だから、その部分を引き延ばしてサッカーというゲームに使用すれば、多くの子供たちがもっともっとサッカーが楽しくなり、ゲームの内容にも効果的なアイテムとなっていきます。 パスやドリブルと同じように、判断と指示、見ることのセンスなどはゲームで有効なアイテムです。 見ること、判断することなどに長けている子供がピッチの中で、チームの中で光っているというのもいいですよね!

そして、クラマーさんのあまりにも有名な言葉にこのようなものがあります。
「私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ」
ジュニアの指導者は、子供たちを「サッカー選手」に育てる前に「大人」に育てていかなければならないし、大人は「紳士」、駄洒落っぽい書き方ですが「真摯」
に対応していかないとならないということでしょうね。 

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Bagunca⑥ [メッセージ]

WiKipediaに書いてあった『村社会』。
なんだか、伝統ある街の少年団サッカークラブに、まさに、このような組織があって、読んでいておかしくなりました。

・長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。
・所属する「村」の掟や価値観、しきたりが絶対であり、マイノリティや多様性の存在自体を認めない。
・出る杭は打たれる。長い物には巻かれるべし。寄らば大樹の陰。義理と人情。横並び。
・排他主義に基づく仲間意識が存在する。
・自分逹の理解できない『他所者』の存在を許さない。
・同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
・一見異端者に寛容に見えても、相手を理解しようとではなく理解できるものに改造しようとしていたり、特例で見逃されているだけであったりする。
・白か黒、善か悪といった二極論を好む。これが「異端者は自分たちを見下している/敵意を抱いている/自分より劣る存在である」といった思い込みを生みやすい。
・弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
・構成員は陰口を好む。
・有形物のみならず時間や空間に対する共有意識も強く、プライベートやプライバシーといった概念が無い。
・事なかれ主義。トラブルが起こると「される方が悪い」という理論で被害者を悪者にし、噂話は真実を追求するより噂を既成事実にする。
・"掟"に関与しない世間一般のルールやマナーにはルーズ。他者がルールを守る姿にも息苦しさを感じるため、他者にもルーズさを強要。「マナーを守らないのがマナー」と化している。
・知識人の不足と年長者の影響力により、架空の法律のでっち上げ、神頼みといった非常識がまかり通る。

相撲協会の時もそうだったし、全柔連もそうなのですが、内部の人が内部のための組織を作っているわけです。
で、時代が変わっても、周辺の変化にも対応できないほどに硬直化している部分があります。
街クラブのコーチも移籍とかレンタルとはした方がいんじゃないかなあと思っています。 
街クラブのコーチが所属を変える時って、 転勤や引っ越しにによって住むところが変わり、まあ新しい土地でも子供がサッカーを始めたので、と、そのクラブに居づらくなって、転籍というこの2つのケースしかないような気がしています。
もっと、もっと、外との交流などをしていかないと、まさに村組織になってしまい、村組織の中で育て上げられる子供はかあんりかわいそうだなあと思ってしまいます。 練習試合とか、そのようなレベルではなく、もっともっと深いところで街クラブ同士が交流していかないと時代に合わない組織が増えていくだけになってしまうかもしれませんね。
内弁慶なる言葉がありますが、なんか日本の組織はこの内弁慶の極みのような人が長になることが多いですね。 たぶん伝統あるジュニアの街クラブというのもこのような組織構造になっているのかなあと思っています。
クラッシュ&ビルド的な発想が必要かもしれないと思っています。 マンネリ化したものは一度壊して再度作り上げることで、時代や環境に対応しているのかどうかを検証してみるというようなやり方も必要なのではないでしょうか? 去年もやったからみたいなものを何続けるのか、比較は1年かもしれませんが引きでみるとかなり長い間同じことを繰り返しているというようなそのような組織構造ややりかたを感じることがあります。
「俺はここで10数年、子供たちをみてきた」そう言ったコーチがいます。 そう、10数年、ここだけで、いつもと同じように見てきたから、だから時代に適合しなくなったのです。 自分だけが変わらず、自分だけが問題がない。 個人ではなく、その個人の考えそのものが組織の考えになってしまう...。
相撲協会や全柔蓮のような組織は、日本のグラスルーツの中にもたくさんありそうな気がしています。

まあ、内部の方が検証してもはっきとわからないかと思います。第三者に自分のチームが村組織の項目になっていないかどうか、照らし合わせたチェックをしてみるのも悪くないのではないでしょうか?



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Bagunca⑤ [メッセージ]

最近、スポーツにおける体罰などが話題になってはいますが、時代とともに指導者の心構えも色々変えていかなければならないものがあるのだと思います。 
まあ、これまでの私が歩んできた過程の中でもスポーツの指導という場もいろいろなものが変化してきました。
私は中学の時に3年間水泳部でした。北海道での水泳部であり、学校にプールがない水泳部だったのですが、近くの工業専門学校のプールを借りて練習をしていました。 まあ、実際にプールで泳げる期間は2ヶ月間くらいです。 で、後は地獄のような陸上トレーニング。 ランニング、腹筋・背筋・腕立て伏せ、ウサギ跳び...陸トレの翌日はこのウサギ跳びの為にトイレでしゃがむことができなくなります。 って、トイレの環境も古いのですが、このウサギ跳びもトレーニングの定番から時代と共に外れていきました。 非常に効果的と言われてきたトレーンイングが、ある日体を壊すのでやめようとなったものです。
また、トレーニング中は水を飲むな! 疲れるとか、がんばりが効かなくなるなどの理由で水を飲むことができませんでした.しかし、いつの頃からか、水を飲まないと死んでしますだろう!ということになりました。 ということで、時代と共にいろいろなものが変化しています。
さて、スポーツの指導現場はというと、変化していな部分が残っており、そこがいろいろな歪みを生んでいます。 先に挙げた体罰の部分もその一つなのかもしれません。 指導者としての威厳をハラウメントという表現方法でか表現できない人の小道具みたいな、そんな感じもしています。
「野球道」(決して野球が悪いと言っているわけではないので誤解しないで頂きたいのですが...)、日本ではすべてのスポーツに武道的な精神論をかぶせてきます。 いや武道的な精神論は素晴らしいものなのですが、勘違いをしているというか、封建的に主従関係を背景にした精神論をかぶせているような、そのハラスメント的手法だけが、さも当たり前の精神論として受け継がれているというようなそんな気がしています。
勝新太郎さん主演の「兵隊やくざ」という映画シーンで、よく出てきた「根性を入れなおしてやる、歯を食いしばれ!」と言って殴り倒し、倒れても直立不動の姿勢に戻らなければならないという光景... それが当たり前の時代もあったということです。
子供達の意識とか社会背景とかいろいろなものが変化したけれども、変化しなかったものがあるのかもしれません。
ただ暴力で技量や知識を叩きこむというのはかなりおかしなことなのではないかと.. 言うまでもなく当たり前なことですけどね。
もう一つは、言葉の暴力や態度の暴力のようなものもあります。 威圧や言動みたいなものを試合会場で見たり聞いたりすることもあります。
度を超えた大人の威圧的な態度や言動は見ていて非常に不愉快になります。 
一番気になっているのは、子供たちはサッカーが大好きでグラウンドに来ているのに、サッカーを嫌いにしてしまうような大人がグラウンドにいること。
大人の威圧や言動で子供たちをグラウンドに縛り付けることほど不幸なことはないのかなぁと。
目の前で起こった事柄では、好きだったサッカーをやっていて、「なんでできないんだ!」とか「何度言ってもわからないやつだな!」的なこと言われ続けて、サッカーつまらないなぁと言ってやめてしまった子がいます。 本当はサッカーが嫌なのではなく、そのコーチの子供への対応が悪いために、サッカーの印象まで悪くしてしまったということなのですが..。 そこまでその子の世界観を変えてしまったという責任は重大です。
また、コーチ陣が功績ばかりを気にして、チーム内にエースを作り、エースは中学進学の時に有名なクラブチームへ行くのですが、周囲の子はサッカーというスポーツに閉塞感を感じて、中学では他のスポーツを選択してしまうということがあります。
まあ、どちらも大人が作った世界です。そして、子供の人生を変えてしまうような事柄です。 子供にとって何がいいのかということをちゃんと考えていきたいと思っています。


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Bagunca④ [メッセージ]

前回まで以前いたチームのAコーチと私の確執の話を書きましたが、たぶんAコーチも根本的に悪い人ではないかと思っています。
一つは、ベテランコーチとしてクラブからまつり上げられてしまったこと、そのことによって、子供達との直接の対応という接触が薄れてしまったことに街チームの中でのコーチの存在、コーチのあり方として問題が出て来たんだろうなあと思います。
Aコーチも以前は1つの学年やカテゴリーを担当しその中で子供達とのコミュニケーションを行っていました。 でも、Aコーチのベンチからの指示や表現方法が時代からかけ離れて来たことに周囲のコーチが焦り始めたのかもしれません。 カテゴリーや学年担当ではなく、高学年の全体を見てもらいコーチのコーチ的な存在として位置づけようとしました。 で、Aコーチは大御所的な存在となったのですが、仕事も忙しいとか色々な理由があったのだと思います。 朝からべったりということではなく、ご意見番的な参加の仕方になりました。 まあ、そのような性格だったと言うこともありますが。 で、ご意見番として位置づけられたので、子供達との日々のコミュニケーションはないけれども、試合など要所要所で色々口を出すだけの存在となってしまいました。 だから全員の名前を覚えるということではなく、エース級や目立った子だけは名前であとは背番号というようになってしまいます。 で、保護者にもこうでなくてはならない的なことを言ってまわる。 でも、ベテランコーチとしてクラブはその存在を認め最後のとりまとめや結論はそのコーチの承認なしには出ないような..そんな体制で動いていました。
街チームで子供達との接触がなくなると正直モチベーションが落ちたり、なんとか子供達との接触を持とうと焦ったりします。 今年の私がそうでした。
昨年は、いろいろなキャラクターの子がいて、いろいろとコミュニケーションを持っていましたが、今年の6年生はやや薄い関係です。 学年のお父さんコーチが影響力が強すぎて、なかなか入り込んで行けなかったということもあります。 子供たちの伸びしろをちゃんと見ていきたいなあ、そして、もっとおもしろくしていきたいと思うには、やはりちゃんと子供達と向き合っていかないとなりません。
今のチームの代表コーチが今年から少々代表コーチをお休みしたいといい代表が替わります。
理由は、家庭の事情と仕事が忙しくなり、スケジュール通りに週末グラウンドへ来ることが難しくなりそうだということと、代表という立場ではなくもっと子供達と近い位置で接したくなったということを言っていました。 子供と近い位置にいないと錆び付いてしまいそうだ的なことを言っていましたが、そのこと私にとっては痛いほどよくわかる内容でした。 今のチームの代表コーチと真逆の方向を前のチームのAコーチは選んだということになります。
1つは組織構造というか、コーチの数も多いクラブでいわゆる「管理組織」という方向に進んだ街チームにおいてベテランコーチがご意見番的になってしまい、しかもご意見番としての権限と影響力が大きい口を与えられた時に起こったこと。 どちらかというと組織は子供のためではなく、大人のというかコーチの存続のための組織や決め毎で展開された街チーム。
そしてもう一つは、管理組織にはなっていない少々ぐちゃぐちゃな体制であって、その中で継承ではなく、誰かが上手くその手腕の中で対応してくださいという組織で、本当に子供という存在を中心に考えている、まあ綺麗にきまらなくても、子供達が楽しければいいんじゃない!的な街チーム。 私はすごく対照的な2つのチームに所属したことになります。
典型的な2つのチームの違うものがあります。 それはクラブのカップ戦です。
以前のクラブ
カップ戦を伝統行事として格式ある大会として継承しています。 コーチ陣がイベントを設定し保護者が協力をするという感じです。 数ヶ月前から準備をし、かなりカチっと行い、終了後はコーチ陣は近所の居酒屋で子供達の活躍を肴に酒を飲みます。
今のクラブ
準備はコーチと保護者で行いますが、基本的に運営・運営補助はクラブの高学年が行います。 カップ戦の試合は低学年の試合です。 審判表の配布、試合のチームの時間管理、表彰式などはすべて高学年の子供達が仕切り、コーチ陣は、まあ少々間違いがあってもいいでしょう、子供達のお祭りなんだから...的な目で見ています。

まあ、そんな感じです。 以前はそれでよかったと思っていましたが、よく考えると、子供よりも大人が楽しんでいたのかもしれないと思うこともありますね。
 

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Bagunca③ [メッセージ]

まあ色々ありましたが、保護者の前で私が切れてしまった事象です。

『えっ、どうしたの?』という話が保護者内で起こり、私が試合に負けたので怒りを抑えきれず、しかも子供達を怒鳴りつけることができないからね... というような話が広がったようですが...
試合会場の観覧席で私は水が入ったペットボトルを床に投げつけました! でも、この感情は試合に負けたからではありません。

話は同じ大会の1つ前の試合、一週間前に別の会場で行われた試合にさかのぼります。

試合内容は忘れてしまいましたが、試合が始まって数分後、Aベテランコーチがベンチの後ろにやってきて、子供たちに指示を出し始めました。 ベンチに入れるのは3名。 私とクラブのK代表コーチ、前年までこのカテゴリーを率いていたMコーチと私3人で入っていました。 で、ベンチのうしろからAコーチ... ハーフタイムにベテランYコーチが私のところにやってきて...
「ベンチ入り3人じゃない、このままだと本部からクレームがきそうだから、だれかベンチから退いて...」って、私にいうということは、Yコーチ私に退けといっているなあと感じ取り、私がベンチから退きました。
二日酔いで集合時間から遅れてやってきて、ベンチの後ろで前半大声出して、挙句の果てにヘッドコーチがハーフタイムにベンチから退くという状況です... 。で、もう一つ後半ベンチ入りしたAコーチは普段練習を見ていないために、子供達の性格やのびしろなどは気にもしておらず、とりあえずは『前にでろ!』『だめだよ、そんなんじゃ!』などの檄を飛ばしていたわけですが、ホントにそれでいいのかい! という感じで。。。 まあ、保護者からも何故ハーフタイムでヘッドコーチがベンチを離れるの?という声もあったようですが、私は相当悔しい思いをしたわけです。

で、翌週の試合

Aコーチは試合前に私を呼び出し.. 『ベンチから離れるのは、Kコーチであるべきなんだ! お前はヘッドコーチなんだから』と言い訳的なことを個別に話してきたわけです。 前週は大きなグラウンドで行われたのですが、その週は市の陸上競技場でおこなわれたためにベンチの後ろに立つということができずに、試合開始時Aコーチは観覧席にいました。
まあ、市内の競合相手でしたので、その日は朝集合した時から子供達の顔色などを観察して試合に臨みました。朝の様子を話しなあgら、Kコーチ、Mコーチと先発メンバーを決め、布陣を決めました。
ところが、その日もハーフタイムにAコーチはベンチにやってきて、『後半、俺がベンチに入る!』といい出したのです。
もう終わったな... そんな気分で、私は無言でベンチを立って、グラウンドから試合会場の外に出ました。 悔しかったですよ、子供たちの名前もしらず、背番号で呼ぶようなコーチでした。 

会場の外まで突き抜けてでしまったのは、本当に悔しかった、朝から子供達の顔色まで考えて試合に臨んだのに、子供たちの全員の名前もしらないコーチが、自分が指揮を執りたいというだけでベンチに強制的に入ってくるようなクラブにいるのかということと、自分の大好きな子供たちがそのような中でサッカーをしていかなければらないのかということがものすごく悔しく、ゆっくりうなだれて歩いていたら、会場から突き抜けてしまっていました。 
観覧席に戻ると、Aコーチが自分の後半の采配に関して保護者に説明をしています。 
そのAコーチの姿を見てペットボトルを床に投げつけ、その光景を保護者に見られてしまいました。

もう、このクラブでベンチに入るのはやめよう、俺はもうこのクラブでベンチで指揮をすることはない。 その時そう決めました。
その時以来、そのクラブでベンチに入って指揮をとるということをしていません。

試合の準備。
いい試合をするためにはいい準備が必要です。 それは、子供達もベンチもです。
ベンチ入りするコーチはやはり、いつも練習をみていて、子供たちの様子を頭に入れておくことが必要でしょう、そしてその日の朝の顔や様子を見て、健康状態や気持ちなどを確認することも必要だと考えています。
名前もよくわからない、個性も、のびしろも理解していないようなコーチが指揮しても、たぶん子供たちも信頼してこないと思います。
子供たちはベンチからのコントロールで動くロボットではありません。
日頃のコミュニケーションも、いい試合の準備の大切なアイテムなのです。


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Bagunca② [メッセージ]

ヘッドコーチとして初めて練習試合でのベンチに入ることになりました。
まあ、その試合の後でも色々とあったわけです。
担当したカテゴリーは、クラブでここ数年ないよね!と言われるくらいのダメダメチームでした。 キャラクターはそれぞれ立っていて面白い奴が多かったのですが、サッカーの試合における成績としてはぱっとせず、クラブ内では『お荷物』と称されるようなカテゴリーでした。 ヘッドコーチを引き受ける時に、近所の居酒屋で代表コーチと飲みながら話したのは、『中学に行く時にクラブチームに行くやつは一人もいなくてもいいけど、全員部活でサッカーを選ぶようなそんなカテゴリーにしたいなあ』というような話をしました。
さてさて、新学期となり本格的にヘッドコーチとして動くこととなり、最初の練習試合。 日頃から付き合いのあるチームとの試合でした。 結果は0-5、1-4と2試合でかなりの点差がついてしまい、しかもこちらの得点が1点だけという試合結果となりました。
最初にヘッドコーチとしてベンチを預かった試合ではあり、これからこれからと私自身は思っていたのですがそうではなく。
この試合に対して、私に対するバッシングが起こりました。
1つはカテゴリー内の他のお父さんコーチから
もう1つはハーフタイムの使い方に関して私に対していちゃもんをつけてきたAベテランコーチが...
試合結果に関して、ふがいないという内容がそのお父さんコーチからメーリングリストを通じてメールで流れ、その内容にそうだそうだ!という同意がそのベテランコーチからアペンドされました。
結果、カテゴリーのコーチと何人かのベテランコーチが集まり会合、まあその時点でヘッドコーチである私のやり方は消去されて、ベテランコーチ管理下になりますよ!的な状況となりました。
口ではそう言わないしそのことは否定しますが、勝利至上主義の方向ですね、トーナメントでは上に行かないと、都大会にはいかないと..。 勝てば保護者も黙って喜ぶんだから... 的な方向性とコーチは常に選手に対して口を出すというか、何か指示をうることがコーチだというそのような考えが入り混じった方向性へどんどん、どんどん進んでいきます。 私が望んでいた方向ではなくなっています。 まあそれでも、少しでもそのような中で、子供たちと楽しくサッカーをしていきたい、何度か会合の中で切れそうになりました。
子供たちのスキル管理シートを作って管理しようとか、できたできないランキングを行って子供たちの競争力を利用しようとか..おいおい本当に子供たちはそれで楽しいと思うのかよ、勝手にあんたたちが管理しやすかったり、子供を管理することによって、大人として、コーチを管理者だと思って楽しんでいるだけだろう... まあ、そんな感じの会合でほとんど我慢の時間でした。
私が子供達に判断をさせるようなサッカーがしたいんだ、子供達がピッチの中で自分がこれだ!と思うようなプレーをさせたいんだと言った時に、Aベテランコーチは『みんな、そういうだよ。 子供達に判断させたいって...でも、そういってうまくいった奴を俺は今まで一人も見てきていない。 俺はここで10数年子供達を見てきている、だから間違いないんだよ』ってね。
Aコーチは、ベンチからの声がうるさいことで市内でも有名なコーチです。 指示だったり、まあいまでいうところの言葉のパワーハラスメントは平気という感じです。 手は出せないので、言葉での体罰という感じですね。 試合・練習以外でも、そのようなところがありました。 まあ、そんな感じで、2つめの試練はこのようなところにありました。
今でも思いますね、見る→考える→判断する→行動する これはサッカーですごく大事なことで、このサイクルを早くすること、そして、早く動き出すということは、早く走れるということよりも大事なことだということを。 
だから、子供達を動かすのではなく、子供達が動くように如何に指導するのか。 時間がかかり難しいことですが、待つこと、子供達にも自分にも時間を与えること、それはすごく重要なことだと思っています。
以前のチームと今のチームで明らかに違うことがあります。
チーム全員で体操などをする時に、先頭が4人くらいたって、その後ろに並ぶようなことがあります
以前のチームでは、列ごとの人数を同じくらいにするために、コーチが怒鳴りちらして、なぜできないんだ!と毎回毎回何度も言います。 同じ体操で列を作る時に、同じことをわ私は怒鳴るのではなく、『さて、横の人数も合わせよう! きょろきょろして、自分で動いてそろえよう!』と声を掛けました。2-3回はあまりうまくできませんでしたが、数回行うと、6年生が低学年の子に指示したりしながら、何が必要なのか何をしなければならないのか自分たちで考えて動くようになります。
私は実験的に行ったのですが、このことだよなぁと今はつくづく感じています。 本質的なところで何が大切なのかということです。
何を子供達に感じてもらえばいいのか...それを伝えることが指導者には必要なのかと思っています。
T吉達のチームは私の希望とおり私が辞めても、当時の代表コーチよって引き継がれたようで、地域の公立中学に進学した子供たちは学区によって2つの中学に分かれましたが、一人を除いて全員部活はサッカー部に入部しました。
そしてサッカーに入部しなかった一名は、『土日はFC東京の試合観戦が忙しいので、土日に試合があるサッカー部へ入部することはできない』ということで入部をしませんでした。 いいキャラしています。

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Bagunca① [メッセージ]

もう3年もたってやや時効的なところもあるので
まずは、なぜ以前いた、チームをやめたのか、その理由を..

T吉が6年生になったとき、クラブのトップチームのヘッドコーチになったということは、すごくうれしいことでした。
今までいろいろな方にお会いしてお聞きしたことなど試してみたいということ考えていました。
当時、チーム内にも問題を抱えていました。 その問題もどうやって解決しようかなども考えていました。
まず、クラブの体制と折が合わなくなったのは、私が指揮を執る最初の練習試合の前に訪れました。

ハーフタイム
単純な理由でクラブを去ったのではなく、いくつかの理由があります。
まずはハーフタイムの使い方というところで、クラブのベテランコーチとぶつかりました。
チーム内に少々不安定なものがありました。 キャプテンに指名した子は、協調性を持つ子ではありませんでした。
試合中ミスをした子のところに行って『死ね!』とベンチには聞こえないように小声で脅しているというような話を子供たちから聞いていました。 紅白戦で審判に入った他のカテゴリーのコーチからも同じような話を聞きました。
どうしようか..?? ヘッドコーチとしては当然悩むところですし解決しなければならない問題です。 で、公の場で試合に関して子供達同士で話す場を設ける、しかも切羽詰まった状況の場で行えば、みたいなところと、やはりピッチの中は子供達だけで動かなければならないということで、子供たち自身で色々と考えて欲しいというような、そんな場を作りたったのです。
カテゴリーのコーチ内で共有されているメーリングリストに『ハーフタイムできるだけ、子供達だけで話をさせようと思っています
 ベンチに入るコーチは、これまでと違って、あまり指示することなく最初は子供達だけで話をさせてください。 その内容を聞いて、コーチが子供達の話をまとめてセカンドハーフに送り出しましょう..』 当然最初からうまくいくなんてことは考えておらず、最初のうちはちゃんと話がでてこないんだろうなぁ...的な予想はしていました。
で、次の練習日にAベテランコーチに呼び出され... このハーフタイムの使い方に関して
他のベテランコーチに相談したのか? 私がヘッドコーチをしているトップチームにはクラブの代表コーチと5年生の時までそのカテゴリーをヘッドコーチとして率いてきた2人のベテランコーチが所属していました。 彼はこの2人に相談したのか?ということを確認してきました。 私の答えはNOでした。 私が今のチームの状況を考え、また今後の子供達の自主性のようなものを大事にしたいということを考えて決めたことだということを伝えると..
このクラブは20数年の伝統で成り立っているチームであり、ヘッドコーチと言えどもベテランコーチに相談すること。 また、子供達に任せても試合でいい結果など出せるはずがない。 コーチがちゃんと指示をして修正をしていかなければならない。 ハーフタイムはベンチが選手に指示をする時間であって子供達の時間ではない! というようなこと言われたわけです。
ヘッドコーチになり初めて出した『おふれ』的なものを頭から否定されたわけですが..。
まあ、そんなところから始まりました。
で、なかなか子供達にハーフタイムで自己分析をさせるというのは難しいことかもしれません。 でも、チームで癖をつけるというところで低学年から実施していくと、きっといい環境になるのではないかと思っています。 もちろんハーフタイムだけではなく、日頃の練習から自己評価や自己分析ができるような環境を作り上げていかないとなりませんが。
試合中に『声出せよ!』という指示が飛ぶことがあります。私も以前はよく言っていましたが、最近は言わなくなりました。 というのは、今の小学生にただ『声出せよ!』と言っても、そのような場があまりない状況で声なんか出せません。
であれば、チームというのを基本にして、チームのために...といような育成をしていく。 そして、声を出して指示をする、存在をアピールするということがチームに有益になるということを、色々な場面で感じてもらうような状況を作っていかなければならないかと思っています。 ハーフタイムを子供達にある程度任せるというものその一環ですね。
本当はそんなチームにしたかったのですが。


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